嵯峨野線複線化工事の進捗状況final

今日、2010年3月13日、嵯峨野線の全線複線化が完了しました。
長い間、皆様に愛されてきた「嵯峨野線複線化工事の進捗状況」シリーズ。
いよいよ最終回を迎えることとなりました。

今回は画像を多用し、複線化前と複線化後の比較を行いたいと思います。
複線化後の画像の撮影日は、昨日。2010年3月12日です。
時間の関係上、京都~二条、花園~嵯峨嵐山間のみのご紹介となってしまったことが心残りです。
それでは、最後までごゆっくりお楽しみ下さい。



①京都~丹波口
kyoto-tambaguchi  n-kyoto-tambaguchi
左が複線化前、右が複線化後の画像です。京都側から撮影しました。以下同じです。
工事開始前の画像があれば良かったんですがね……申し訳ありません。
全線複線化といいますが、実は京都駅を出てから1km地点までは複線化されていません。
すぐ北側には道路、すぐ南側には東海道線の上り外側線があり、用地取得が困難を極めるからです。
京都駅の構内扱いなので、「全線複線化」と主張する分には問題ないのでしょう。
画像は1km地点から撮影したものです。この地点までは単線です。写っているポイントが上下線を分けています。
単線時代は、上下線とも現在の上り線を使用していました。左側の画像を御覧ください。左に分かれる線路は建設中の下り線です。ポイントが 右側 の線路、つまり現在の上り線に向かって開いていることが見てとれるかと思います。
複線化後は右の画像の通りです。ポイントは左側に開き、60km/hの速度制限がかかっています。


n-kyoto-tambaguchi-2
複線化後の画像です。ポイントを通過して下り線に入った直後の画像です。
上り列車にしてみれば、1km地点で下り線と合流することになります。
上り線から安全側線が分岐しています。


n-kyoto-tambaguchi-3
複線化後です。左の線路が下り線、右が上り線です。
かつては上下線とも現在の上り線を使用しており、画像の地点で上下線が分岐していました。
今でこそ渡り線が一線あるのみですが、単線時代にはダブルクロッシングがありました。その今は無い側の線路を利用し、下り列車は(現在で言う)上り線から下り線に渡っていたわけです。
レールは撤去されましたが、当該箇所のスラブ軌道にはそれらしき形が残っています。



②丹波口~二条
tambaguchi  n-tambaguchi-nijo
再び新旧比較。丹波口駅を発った直後です。
単線時代は上り線が直線で、そこに下り線が制限45km/hのポイントで合流していました。安全側線もありました。
現在は丹波口~二条間に下り線が新設され、速度制限も大幅に緩和されて110km/hとなっています。


tambaguchi-nijo  n-tambaguchi-nijo-2
どちらが新線でどちらが旧線か、右の画像だけ見ても一目瞭然。


nijo  n-tambaguchi-nijo-3
かつての単線は、二条駅の手前でまず僅かに左に曲がり、その直後に僅かに右に曲がっていました。それが左の画像です。僅かに左に曲がる部分は手前すぎて写っていませんが。
複線化に際し、僅かに左に曲がっている部分から線路を直進させて上り線とし、僅かに右に曲がっている部分に直線の線路を合流させて下り線とする、という形態がとられました。
右の画像のスラブには、僅かに左に曲がっていた部分の面影が残っています。画像から読み取ることは困難ですが、かつてのレールの跡が茶色くなっています。右の画像を穴が開くほど眺めていれば見えてくるかも知れません。
ちなみに、複線化に伴って下り線が微妙に付け替えられています。右の画像の奥の方、下り線の横の高架橋壁が不自然に曲がっているところがありますよね。しかし左の画像で同一箇所を確認してみると……何と線路も壁に合わせた形で曲がっているではありませんか。


n-tambaguchi-nijo-4
複線化後。奥に見えるのは二条駅です。
かつては上り線が直進、そこから下り線が左に分岐していました。下りの制限速度は45km/hでした。
現在は御覧の通りで、速度制限も取っ払われました。
単線時代の画像があれば良かったんですがね……。



③花園~太秦
hanazono  n-hanazono-uzumasa
花園駅出発直後。上下線が合流していた箇所の画像です。上下線を合流させるポイントは、まだ一部撤去されずに残っています。
かつて、この区間は地上の単線でした。
高架化&複線化を行うにあたり、まずは既存の地上線に高架の単線を横付けし、高架線の開業後に地上線を撤去し、地上線のあった場所に高架線が敷設されました。
左の画像は高架単線の時代のものです。


hanazono-uzumasa  n-hanazono-uzumasa-2
偉大な進歩。


uzumasa  n-uzumasa
左は一線スルーの太秦駅、右はただの「複線・二面二線」の太秦駅です。ポイントがまだ撤去されていないだけで。



④太秦~嵯峨嵐山
n-uzumasa-saga
太秦駅、かつての上下線の合流地点。上下線という表現が適切かどうかは知りませんが。一線スルーだし。
ポイントの痕跡あり。


saga  n-saga
嵯峨嵐山駅は、配線が大きく変化しています。
昔は2面3線でした。まず単線から振分分岐器で上下線が分かれ、その後上り本線から待避線が分かれていました。
そこから変更されて左の配線となります。下り本線は直進、上り本線は45km/hの速度制限でもって分岐し、そこからさらに待避線が分岐。
現在は右の配線。本線と待避線が上下1線ずつ、典型的な複線中規模駅となりました。
なお、画像の手前の箇所で上り線から下り線に入る渡り線があり、当駅折り返しも可能な配線となっています。



最後になりましたが、容量を消費して申し訳ありませんでした。この記録が後世の方の便益に供することがあれば、これに勝る喜びはありません。
以上、54期 高2、H.Kがお送りしました。
最後まで御覧下さり、誠に有難う御座いました。
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嵯峨野線113系引退

2010年3月12日を以て、嵯峨野線から113系引退しました。

113系@保津峡
↑最終日の113系。保津峡駅にて


私は現在、高校2年生。まもなく高3に進級しようとしています。
思えば自分の洛星生活は、113系とともにありました。
2005年、洛星中学に入学。初めての電車通学。
「嵯峨野線」という乗り慣れない路線。これに毎日乗る、ということに心躍らせた日々。
当時の嵯峨野線は、ほぼ全線単線でした。複線区間はごく一部でした。
当時から複線化工事の話はあったでしょう。計画も着々と進行していたことでしょう。
しかし、単なる一乗客でしかない私からそんな様子は見てとれるものではありませんでした。
京都駅の頭端式ホームを出た113系は、すぐに単線となって東海道線の複々線に別れを告げ、茶色いバラストに敷かれた線路を走ります。
貨物営業があった時代の面影を残す丹波口駅は、高架であるにも関わらず古さを感じさせるものでした。
丹波口駅を出てまた単線となる、あのポイントにも風情がありました。
都会上空を貫く古びた単線、そこを昭和の走行音でもって走る国鉄の車両。当時から違和感がありました。
だからこそ私は、「山陰線」にどこか惹きつけられていたのかも知れません。


中2の夏。複線化工事が行われていることに初めて気付きました。
以来、嵯峨野線を利用する度に、すぐ隣で行われている複線化工事を積極的に眺めるようになりました。
京都~丹波口間にせよ、丹波口~二条間にせよ、進捗率の差こそあれ工事は着実に進んでゆきました。
コンクリートを固めて橋脚を積み上げ、その上に高架橋を構築する。
最初は断片的でしかなかったものが、徐々に接合され形になってゆきました。
山陰線に221系の新風が吹いたのは、この頃だったでしょうか。


221系@馬堀
↑嵯峨野線に入った221系。馬堀駅にて。


221系の運用開始は、2008年春。中学卒業、高校入学の年。ちょうど私の洛星生活の折り返し地点に当たります。
琵琶湖線から乗り換えて京都駅の山陰線ホームに来れば、113系がテールランプを光らせて発車を待っている。
これまで3年間の洛星生活で見てきた風景はそれでした。

ですから、当初は大いに違和感を覚えたものです。
どことなく古めかしい、京都駅の山陰線ホーム。
似つかわしいのは113系。JRの車両は近代的すぎる。
221系を見る度に、「山陰線」が「嵯峨野線」となってきていることを感じました。

113系は短期間で大幅にその数を減らし、代わって嵯峨野線には221系が幅をきかせることとなりました。
221系が投入されたその年のうちに、113系は2編成にまで減らされていたのではないでしょうか。
そして昨日、2010年3月12日、113系はラストランを迎えました。
中1の頃から慣れ親しんできた嵯峨野線。その嵯峨野線には、もはや山陰線は走りません。

私の洛星生活は、嵯峨野線とともにありました。
私は洛星という学び舎で教えを受けてきました。同じくして、山陰線も成長を遂げてゆきました。
ここ数年で、山陰線は大きく近代化への道を歩んだように思います。
「全線複線化」と「車両の近代化」。
言葉にすればそれだけかも知れません。しかし、それはとても大きなことだったのです。
いま、山陰線は大人になりました。山陰線は嵯峨野線になりました。
昔の面影を残しつつ内面的には大きな成長を遂げた青年のように。

かつて、私の使っていた路線は「山陰線」であり「ローカル線」でした。
いま、その路線は「嵯峨野線」という「通勤路線」に生まれ変わっています。

最近、嵯峨野線を自らに重ね合わせてしまいます。
私の10代は、山陰線の成長とともにありました。それゆえ、山陰線、嵯峨野線には特別の思い入れがあります。
山陰線は大人になりました。それゆえ、今日「成人式」が行われました。
記念列車の発車に合わせ、京都駅ではセレモニーが行われました。
嵯峨野線の門出を祝う、セレモニーが行われました。
私の洛星卒業も、もはや遠い話ではありません。
1年ばかり先を越されましたが、嵯峨野線も私も、未来への大きな一歩を踏み出そうとしています。
嵯峨野線とともに成長できて、本当に幸せでした。


113-kyoto33


書いた人:H.K(54期 高2)
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